この本を読んで私がどれだけ間違った思考法をして生きてきたのか理解した。
ある日、不幸な友人がこう言っていた。
僕にはできない。
やろうとしてもできないんだ。
変わろうとしている。
心では強く思っている。
だけど、どうすればいいのかわからないんだ。
できないんだ。
彼は不幸の中で、その現実を変えようともがいていた。
その人の言っていることは正しい。
わたしはそう思った。
なぜなら自分も彼と同じ境遇だからだ。
わたしは毎日、成功と成長の正しい思考法を探した。
考えて
考えて
考えて
いくら考えてもそれは見つからなかった。
迷子になるだけだった。
成功者の本も、思考法の本も、脳科学の本もたくさん読んだ。
だけど見つからなかった。
しかし、ある日その答えを見つけることができた。
友人から何度となく投げかけられた強烈な言葉と行動
過去の大量のインプット
これらが繋がり私の前に、答えとして現れたのだ。
その答えは単純な物だった。
「自分のやりたいと欲する感情、好き・嫌いという感情に答えてそれを実行するだけ。」
これだけだった。
子どもがしている思考・行動様式をするだけ。
それなのに、
間違った思考がずっと自分の中にあって積み重なって何もできなくなった。
わからなくなった。
そしてこの思考を得るためには、
ビックバンのような、新しい宇宙を創るくらいの奇跡が必要だった。
今まで存在しなかった思考を生み出す
成功するための正しい思考を。
だから、難しいのである。
だから、迷うのである。
だから、もがくのである。
それでも、新しい宇宙は簡単には作れない。
その思考さえも間違えになるかもしれない。
だから、わたしたちは本を読んで他人の人生・宇宙を経験するのである。
「人は直観を信じて行動して、人(己と他人と世界)を愛して生きる」
論理はそのために使うのである。
私の幼少期
わたしは幼少期から間違った思考法で生きていた。
親が感情的でギャンブル依存症で、好きなように生きて家族をないがしろにして、家もごみ屋敷で怠惰で生きているのを見て育った。
中学生になると、こうなってはいけないと思うようになった。好きなことをして欲におぼれる父親を見て理性を働かせて生きようと思った。
そのあたりから強く、父を反面教師にして、父のようになりたくない。人に迷惑をかけてはいけない。自由奔放に生きてはいけない。と思って生きるようになったと思う。
それは間違った思考だった。
おそらく、わたしの思考は中学生時代から間違い始めた。
つまり、人生が間違い始めた。
(正確には、私の人生は幼少期から間違いだらけだ。)
父のように感情的に直観的に生きることは間違いではなかった。
ただ、父に間違っている部分があるとすれば、人に対する愛を持たない部分、欲におぼれている部分だった。
自分の好きという感情に素直であることは正しかった。
ギャンブルという欲におぼれていることが間違いであった。
家族に関心を持たず愛を持たないことが間違いであった。
家も掃除をせず身の回りのことに関心・愛を持たないことが間違いであった。
自分の経験不足と圧倒的な知識量の無さ判断力の欠如から中学生という早い段階で間違った判断を下して
それを振り返ることもせず、この年齢までこの思考法で生きていた。
正しい思考は、
自分の好きという感情や直観に素直であること。
余計な思考をせずに行動して、努力をつづけて進み続けること。
欲望を振り払い、自分のために誰かのために愛のために生きること。
論理は直観のために使うのである。
直観は論理のために使うのである。
その双方向性が大切なのだ。
自己愛、友愛、家族愛、博愛。
自分は論理の使い方を間違っていた。
論理のために感情を排除して、直観を使っていた。
現在たどり着いたわたしの答えは、大量のインプットからの直観。そして行動。
これが、彼のいう正しい思考なのではないかと考える。
新しい思考法をみにつけても行動することは難しい。
しかし、彼は本のタイトルでこういっている。
人は考えた通りの人間になる。
感想
ジェームスアレンはこう言っていた。
わたしは、それは時と場合によると考える。
生まれた瞬間この世界が他人の思考や国家の主義で支配されていて、その下で人間は生まれる。
自分の思考を他人に植え付けられて存在している。
生れた時点でその思考は本当に自分が望んだものなのか?
それすら誰も理解できない。
ジェームスアレンが正しい思考を得るに至った経緯は、環境の恩恵ではないのであろうか。
正しい思考法というのは、一つずつ階段をのぼってできる物。
何世代もの絶え間ない努力の情報の伝達によって積み重なってできる物。
また、カール・マルクスは「人間の意識は存在を規定するのではなく、社会的な存在が意識を規定する」と述べており、個人の選択や思考は経済や社会の構造に依存していると述べている。
さらに、現在の医学や心理学の分野では「バイオサイコソーシャルモデル」がよく採用されている。このモデルでは、人間の行動や精神状態は、遺伝的・生物学的要因(バイオ)、心理的要因(サイコ)、社会的・環境的要因(ソーシャル)の相互作用によって決まると考えられる。このモデルに基づけば、個人の意志や思考も重要ですが、それだけでなく環境や生物学的背景も同様に大きな影響を及ぼします。
要素 | 説明 | 例 |
バイオ (生物学的・身体的機能状態) | 健康状態、身体機能、遺伝的要因、年齢、性別など | 高血圧、糖尿病、骨折、アレルギー、視力低下など |
サイコ (精神的・心理的状態) | 気分、感情、思考パターン、性格、ストレス耐性、認知機能など | うつ病、不安障害、ストレス、自己肯定感の低さ、学習意欲の低下など |
ソーシャル (社会環境状態) | 家族関係、友人関係、社会的な役割、経済状況、住環境、文化的な背景など | 家族のサポートの有無、友人との交流の頻度、仕事でのストレス、経済的な困難、住居の安全性など |
補足
- ADL:食事、排泄、着衣など、日常生活の基本的な動作
- IADL:買い物、料理、掃除など、ADLよりも高度な動作
これらの要素は、それぞれが独立しているわけではなく、複雑に絡み合って、個人の健康状態や生活の質に影響を与えています。
例えば、
- **病気(バイオ)**にかかると、気分が落ち込み(サイコ)、社会活動が制限される(ソーシャル)ことがあります。
- **経済的な困窮(ソーシャル)**は、ストレス(サイコ)となり、健康状態(バイオ)を悪化させる可能性があります。
このように、バイオ、サイコ、ソーシャルの3つの要素は、相互に影響し合いながら、個人の状態を形作っているのです。