人間の欲望を隠す偽善性を超えて
現在、ストーリーテリングは、聞き手の感情に訴える手法として多用されています。
「持続可能な未来への貢献」
「AI企業が掲げる倫理と人間性の重視」
彼らは心動かすストーリーを語り美しいビジョンを見せます。しかし、ビジネスの裏にある「資本主義の利益追求」「人間の欲望」の意図を完全に隠すことはできません。そして、ストーリーの美しさがかえって偽善的に映り嘘つきの印象を与えます。
そのため、本当に心に来る話し手はストーリーテリングは使っていません。
彼らは、ヒューマンテリングを使っているのです。
この記事では、ストーリーテリングの限界について掘り下げ、本当の誠実さを重視する新しいアプローチのヒューマンテリングについて論じていきます。
ストーリーテリングの限界:本質を隠すことの不信感
現代の消費者は非常に賢く、情報に対して敏感です。企業が語る「美しい物語」の背後にある利益追求の意図を容易に察知し、その結果として疑念や不信感を抱くことがあります。ストーリーテリングで感情に訴えるのは、一時的には効果的かもしれませんが、長期的には企業の真の姿勢が見えてしまいます。
例えば、企業が「お客様のために」「社会に貢献するために」と強調しても、結局のところ利益を目的としているのは明白です。それが悪いことではないにもかかわらず、企業がそれを隠そうとすることで、逆に「何か裏があるのでは?」と思われることが多いのです。このような状況では、ストーリーテリングが「嘘くさい」「偽善的」と感じられ、かえって逆効果になります。
一方で、率直に「AIは富と情報の一極集中が本質です。」「だから、私たちAI企業は庶民からお金を収奪します。」と言う方が、消費者には誠実に映ることが多いです。利益追求は資本主義社会の基本ですから、それを無理に隠すことは意味がなく、むしろ正直に話す方が信頼を得やすくなります。
モル太郎
モルモット祐太郎
経営者の欲望を隠さないアプローチが信頼を生む
経営者やビジネスマンが率直に「お金が欲しい」「慈善活動は利益をあげるためのカモフラージュです」と宣言することが大切です。その上で、その利益をどのように社会に貢献するかを全て明確にすれば、消費者はそれをより信頼できると感じるでしょう。なぜなら、現代の消費者は、企業が利益を追求していることを理解しているからです。それを無理に隠す必要はなく、むしろその部分をオープンにすることで、企業の信頼性が高まります。
個々のビジネスマンがプレゼンで「お金が欲しい」「成功したい」「モテたい」「俺はエロい」と率直に言うことも、その人の信頼性を高めます。それに加えて、その欲望を超えた行動、例えば利益を社会に還元したり、他者のために使うような行動をとることは、さらに強い信頼感を生むでしょう。企業や個人が自分の欲望を隠さずに、それをどのように使って社会に貢献するかを示すことが、最も信頼されるアプローチなのです。
ストーリーテリングではなく「誠実さ」ヒューマンテリングを選ぶべき理由
ストーリーテリングが感情に訴える手法として人気を集める一方で、それが過剰に使われると逆効果になる理由は、先ほども述べたように、消費者や視聴者がそれを「操作」と感じるからです。人は感情的なつながりを無理に作ろうとされると、その意図を敏感に感じ取り、かえって拒絶感を抱きます。
特に、企業やビジネスマンが自分の苦労話や成功物語を語る際、それが「いい人アピール」に終始するならば、聞き手は「はいはい、失敗談のテンプレートね」と冷ややかに受け止めてしまうことがあります。逆に、自分にとって不利なこと、恥ずかしいこと、自分のどす黒い部分をオープンに語る方が、信頼感が高まることが多いのです。
たとえば、性病にかかった経験やニート時代の社会不適合ぶり、あるいは、武勇伝ばかりを語りあえて嫌われている状況を作り出す人の方が、感情を無理に操作しようとせず、リアルな姿勢を見せているため共感が得られやすいのです。こうした「自分を飾らない」姿勢こそ、信頼感を高めるのです。そのうえで行動が誠実な人間の方が私はよっぽど好きです。
会話であえて自分が嫌われ者になり、その裏では誠実な行動をとれる人間になること。それがヒューマンテリングです。
ヒューマンテリングの本質:欲望を認め、それに抗う行動が人を動かす
「欲望」を隠さず、むしろそれを正直に認めることが大切です。そして、その欲望を超えて他者を助けたり、社会に貢献する行動を取ることが、最も強いメッセージを伝えることができます。
例えば、「お金が欲しい」と言いながら、全額を慈善活動に寄付するような人は、その欲望を認めつつ、それに抗う行動をとっているため、結果的に多くの人々から信頼されます。人は、他者が率直であることに共感を覚え、その上で誠実な行動をとる人を尊敬します。企業においても、ビジネスマンにおいても、同じことが言えます。
私たちは、うんこが漏れると言いながら、困っている人にトイレを譲ることのできる人間にならなければならないのです。
それこそがストーリーテリングからの脱却なのです。
そう!
うんこを漏らすことがストーリーテリングを超えたヒューマンテリングの始まりなのです。
誠実さが持つ本当の力
結局のところ、私たちはストーリーテリングによって作られた感情的なつながりよりも、誠実さと実際の行動に価値を見出すのではないでしょうか。資本主義における「欲望」と「競争」を隠すのではなく、それを認めた上で、それに抗う行動をとることが、私たちが本当に信頼するべき基盤となります。
企業や個人が自分の欲望を正直に語り、その欲望を社会のために使う姿勢を示すことで、私たちはその人々に共感し、信頼を寄せるのです。
おそらく、ヒューマンテリングをやると、モルモット太郎のように世間でいう成功者にはなれません。
ですが、それでいいのです。
人がうんこを漏らし続けたその先を私は見てみたいのです。